ルードウィヒと私の家族の話

「ピアノが上手く弾けない自分」というコンプレックスを抱きながら、この舞台を観ています。
私は三兄弟で上に姉、下に弟がいます。
三人とも同じピアノ教室に通っていました。
習っていたといっても、保育園から小学校の6年生までの7年間でした。
私はこの習い事が心底きらいで、「音楽」というものを得意だけど「きらい」という小学校生活を送っていました。
ピアノを習っていてもひとつもいいことなんてない。
譜面は読めて当たり前、小学校の校歌の伴奏を頼まれる。
姉は弾いたうちの小学校の校歌は小学生が弾くには難しい、とされたものでした。
私は、ピアノを習っているからと学校行事の伴奏をしなくてはならないのはおかしいと感じていて、かつ小学生当時は人前に立つ事が苦手だったため、先生からの校歌の伴奏のお願いを断り続け、逃げおおせました。

「音楽」≒「きらい」
ですから、「音楽」を好きだとも楽しいと思えたのはピアノをやめた中学生からでした。
人生で最も楽しいもののひとつを、楽しみ、好きになるスタートダッシュが遅れたといえます。

河合くんが「ピアノ発表会の人ってこんな気持ちなんだ」と会見などで発言しました。

私ももちろん、ピアノ発表会を経験しています。
兄弟で習っていたので、弟と連弾したこともあります。
兄弟で連弾!いいわね、とよく言われ、当時はよくないよ、と思っていました。


先日、今住んでいる地区のピアノ教室のピアノ発表会をのぞく機会があったのですが、
やはり姉妹で連弾とか兄弟で連弾というものはあって、
やはり私も当時のことを忘れて「いいわね」と思いました。

また、この前は、通っていた大学の大学祭で、
ピアノ会が男女で連弾をしているのをみて「いいな」と感じました。
いっぱいいっぱいな感じが伝わって来て、でもピアノが好きなんだなと感じました。
先日、みたピアノ発表会で、社会人になってから、ピアノを習い始めた人、というのが数人いて、それはいいな、と思いました。
人から強制されない習い事。自分の意志がある習い事はいいですね。

私は大人になってから書道をはじめましたが、この習い事はここ8年くらい続いています。
書は、なんとも心が落ち着きます。
祖父が書道をしていてついでに師範の免許を持っていましたが、
年に一回書き初めを祖父に習うのみで、
私は習い事として書道はしたことが無かったです。
しかし、大人になってから、書道をはじめ、一昨年には亡くなった祖父の雅号を継ぐことにしました。
自分の意志があること、本人の本当にやりたいことだということが大事なのです。
小学校時代の私は、本当は剣道や武道を習いたいと思っていました。

今、思えば、親に「ピアノをやめたい」と言い続けるのではなくて
「本当は別の習い事をしたい」と言って説得すれば良かったな、と思います。

7年間ピアノを習っていましたが、今は譜面を観ても、それがどんな曲なのか知る事はできません。ピアノを弾いてみて、はじめて音がわかるのです。

私はまったくもってものにできなかったピアノですが。弟は違いました。

弟は姉2人が小学校卒業と共にやめたピアノを中学3年まで続け、合唱の伴奏をするまでになりました。
伴奏をする男子、というのは当時珍しいもので、ピアノを出来るとなると、他の曲では指揮も任されることになったそうです。

その頃の弟の話で興味深かった話があります。
弟の指揮とピアノの伴奏が少し合わないところがある、ということで
伴奏の女の子「○○(弟の下の名前)が私に合わせて」
弟「それ、ちがくね?」
伴奏の女の子「細かい事はいいから」
と言われたというエピソードがあります。

その伴奏の子は弟と保育園からの幼馴染で、ここに幼少時からの男女の力関係が出たな、という感じでなかなか微笑ましいエピソードですが、これを言われた弟は理不尽に感じたんじゃないかな(笑)

指揮をしているはっしーを観ていると、指揮をピアノに合わせるように言われた、弟のことを思い出します。



私たち兄弟が弾かなくなったピアノですが、今でも田舎で処分せずに調律されています。
兄弟三人がピアノを練習する必要があったので、当時はピアノ一台とオルガン一台がありました。
オルガンは近所の小さな子が生まれた家に譲ったんだったと思います。

姉が、なぜ、誰も弾かないピアノを維持費をかけてまで、まだ残しているのか、と母に尋ねたそうです。
そうすると、母は、
「孫が弾くかもしれないじゃない」と答えたのでした。

姉は母がこんなことを考えていたなんて思いもよらず驚いたそうです。
もちろん、私も驚きましたが、なんというか、
「ピアノのあるおばあちゃん家なんて嫌だよ」
と言いたい気持ちです。
私自身、母方の祖母の家に行くのに何が嬉しいって、ピアノが無いから、毎日の練習から解放されるというのが大きかったから。

とピアノをやめさせてもらえなかったことをそこそこ根に持っている私ですが、
田舎に帰ってピアノを弾いてみると、歓喜の歌くらいは暗譜で弾けます。
まあ、意味あったんじゃないかな、とも、思えます。
もう何かに向けていやいややる必要はないと思えば、
ピアノを気軽に弾いて遊ぶことができます。

姉は小学校の教職を取る際に役だったといっているし、
例えば、音楽に関する部活を中学校からはじめていれば役立ったのかもしれない。

もしかしたら、今の私のアイデンティティを支えている高校時代のアナウンス。
人よりアナウンスが得意だったのも、ピアノの影響かもしれない。

お母さんに、私は自分の子どものやりたいと思えることをさせるよ、と言いたいです。
まだピアノを弾く孫の気配はないから、それまでは、ときどき私が田舎に帰って弾きたいと思います。
亡くなった祖父も私たちがピアノを弾くのが喜んだし(祖父はアコーディオンを持っていた)、
祖母も、私がピアノを弾く手をとめると「弾け弾け」と勧めるので悪い気はしません。

ただ、私たちがピアノをやめてから飼いはじめた猫二匹が、
ピアノを弾くと不思議そうな目でみてきます。
ときどき「にゃー」と参加して来るのは「やめろ」と言っているのか、それとも。

夏場はピアノの上がひんやりして冷たいから、猫はよくピアノの上で寝ています。
それが、蓋を開けたら、白黒で、しかもこんな音がして、さぞ驚いている事でしょう。