コルトガバメンツ〜ハジメのハジマリ〜6月20日(金)19時公演の感想  コルトガバメンツが刺さって刺さって

コルトガバメンツが刺さって刺さって、血みどろや。
演題が銃の種類なら、撃たれたといってもいいかもしれない。
全体的に「近い」とか「キャー」「ランドセルかわいい」「はじめてみた」銃の音に「びっくりしたー」「ほんと、びっくりしたー!」みたいな層が多い中、(これ全部上演中の私語)
私みたいな世代ど真ん中です!みたいな人は少数派だったように思う。
遊戯王とかモーニング娘とかハイパーヨーヨーという懐かしの小学生の頃に親しんだものが出てくるから、尚更である。

わからないけどね?
内容が響いて響いて、刺さって刺さって、みたいな人は口数少なになるはずだから、
その場合、テレビの前みたいな反応の人たちが悪目立ちするだけ、というのも考えられる。


ともかく、肇の正義感に共感した。
共鳴みたいな。
肇は、万引きをする同級生や不正を行う会社組織を許せなくて、
お店のおばちゃんに言ったり、内部告発をしたわけだよね。

正義と言う程でもない、正しいこと。
正しいことという程でもない、当たり前のこと。

しかし、周りはちょっとした悪に満ちている。

小学生の頃はチクリ、という回り道で
会社員になってからは、まず部長に面と向かって言ってから内部告発する、という成長の過程が見られるところは、全く同じじゃない。少し成長してる。

気になったら、とことん突き詰めなきゃ気が済まないんですよ、という台詞はすごく言い訳に聞こえた。

肇は正しさを当たり前に説いているだけで、正しい事に、理由などいらないのだ。


ちょっと、過ぎた話になるけど、
例えば、この話、ハタチまでにお酒を飲まなかった人には共感される内容ではないか、と思う。

なんというか私が、まさにそれ、なんだけど、高校生の時に、同級生が集まって、隠れてお酒を飲んでることを知ってしまって、
私も誘われたんだけど、未成年飲酒は抵抗があった、というよりも絶対にしないと決めていたから、その関係と距離を置いた事があった。
間違ったことをしてみたいという若い集団がおそろしくもあったし、
その集まりが地域活動だったから、それがおおやけに知れれば、地域の皆さんに大きな迷惑をかけることが容易に想像できた。
そんなこともわかんないのか同級生は、と情けなく思って、憤った10代でした。

私、その小さなコミュニティがとても好きだったから、そこと距離を置くことがとても悲しかった、

今、思いだしてけど、それ、私、一回、先生に言ったことあったわ。
でも先生、説明したのに、途中で帰っちゃったんだな、ここから、私の根底にある、大事な時に大人は助けてくれない、の教訓があります。

で、何年か経って他の先生に当時の話をしたら、
私が大人になるのが早すぎただけだと言われて妙に納得した。
言いくるめられただけかも知れぬが。

なんの話や、過ぎるが、

作中で、肇が駄菓子屋で万引きに手を染めなかったことに対する、当たり前の共感があります。
そして、同級生に対する怒りや嫌悪、落胆、侮蔑に近い感情があることも理解できるわけです。

ここまで書いてみて、やはり少数派なんじゃないかな、と思った。

この世は悪気のない悪がありすぎる。
劇中の小学生には、悪気のない、無邪気な悪があった。

しかし、主人公はそれに染まれない、同級生を許せない、自分は同じところにいたくないと、違う中学校へ行くことを決意したんだと思います。


でもさー、肇は最後になって、違う中学校に言って、さびしかった、後悔したっていうわけ。
なんだよ、それ、と思うけど、部長が言っていたように
「どの道に進んだとしても、人間は後悔するんだよ。」
という台詞が真理です。


ここで、そうだよなあ、と納得しかけたところで、
あのエンディングですよ。
肇がフェイスブックをはじめさせられて、
上手に、スマートフォンがスクロールされていくのが映って、かつての同級生が映り、コルトガバメンツの三人がその説明をするんですが、
あの演出には心底ぞっとしました。
時代は、まさにそう!SNSの全盛時代かもしれません。
かくゆう私もフェイスブックやツイッタ―をしていますが、
そのユーザーであるのに、あの演出にはぞっとした。

コミュニケーションの方法、さらに、物語の進行がフェイスブックって。

ある意味、こんな時代は危険だぞ、という啓示なのかも。

そのあと、さらっと内容は終わったけど、私はこの舞台の話には続きがあると思った。
この後、SNSで、この4人はもめますね。

下手したら、他の同級生を巻き込んでのひと波乱かもしれない。

からのバッドエンド。誰も幸せにならない。

ひきこもりにSNS与えるとか危険でしょ。
その中でしか生きなくなるよ。

そういうツールが無くても外に連れ出してあげるべきだ…と思った。


全体的に悲しかったけど、舞台は響きましたよ、なんなら刺さりまくって、血みどろですよって話。

知らない人が私の席に座っていたり、その対応を男性スタッフさんからたらいまわしにされて、結局事故席なのかどうか、自分で確認する羽目になったり、(事故席ではありませんでした。人が来ないからずれていいと思ってたみたい。)周りの私語がはげしくて、ちょいちょいジェスチャーで注意したり、それでも、手の届かない範囲一帯が煩いからどうしようもなかったりで、悲しかったりしましたが、内容は響きました。


びっくりしたのが、上演中も場内監視のスタッフさん(男性)が前の席、舞台の両サイドに立ってるんですよ。
コンサートでもないのに。コンサートだとしても忍者座りだよ。
上演中も。
あれ気が散らないかな。
いつもは北九州芸術劇場はこんなじゃないです。
いつもは後方に女性スタッフがいるくらいで、
普段は開演前に「撮影禁止」プラカード持ってうろうろしたりしない。
なんだろ、この客席の異様な雰囲気。

男性スタッフさんは座席が読めない。
劇場に入るのがはじめてのバイト×2だったんだろうけど、
わからないから人に振って、その人も番号でどの位置かわかんなくて迷う、
そもそも、席案内のスタッフが一人もいないという異常さ。
いや、私は席の位置はわかってるんですよ、だた、人がそこに座ってるから、客同士でトラブルにならないように、スタッフに中に入って確認して欲しいのであって。

厳重警戒だけしていて、劇場のサービス自体がおろそかになっている。

でも、ここまでしないと、今のキスマイ現場って厳しいんだろうな、と感じました。

3月の福岡であった仮面ティーチャ―舞台挨拶のときも、藤ヶ谷くん本人が言及するくらい客席はパニック寸前だったから。

私はただ静かに観劇がしたいだけなのだが、
カーテンコールで藤ヶ谷くんが投げキスをしたので、
「コンサートに来た」感覚のお客さんは「キャー」と気が済んだみたい。

こういういわゆる新規顧客とか顧客のファミリー化問題も彼は背負っていかなきゃならないと思うと、切ない。
飛ぶ鳥を落とす勢い、ってこういうことか。
立ち見もキャンセル待ちもいっぱいいたよ。
こんなこと、この劇場で早々ないよ。
お客さんの期待や需要に応えている藤ヶ谷くんをみて、遠い目になったりしましたが、北九州に来てくれたおかげで、退勤後に観劇すると恵まれた一日を過ごすことが出来ました。
ありがたや。

この舞台のチケットは本当に激戦だったけど、
舞台の内容としては、熱狂的にその日を待つ、というより、
ふらっと当日券買って、1回見てめっちゃ内容刺さって帰る、くらいがちょうどいいような気がしました。
今回はパルコ劇場の地方巡業だけど、
芸術劇場はコクーン系の舞台のの地方巡業に当たることもあるし、もっと色んな舞台来てもいいのよ。