熱海殺人事件 京都南座 千秋楽

千秋楽は金太郎登場の曲はシェリーで、前楽は違う曲。歌詞に「忘れな草」とあった。

カーテンコールの後、下手から錦織さんが、ハンディマイクを回してくれて、キャスト一人一人が挨拶をしてくれた。
黒谷さん「今回つかさんの作品を錦織さんの演出で、錦織さんが部長もやって、とっつーが部長になる回もあって。この作品に関われて良かったです」

戸塚「どうも大山金太郎を演じましたA.B.C-Z戸塚祥太です。
今日は有難うございました。千秋楽有難うございました。
そうですねぇ、えー、東京ばななの…『東京ばななの袋に入ったひよこです(錦織さんのアドリブ)』が今すごく心に残っています。
二年ぶり…3年ぶりですか。尊敬する錦織さんの演出する舞台に立てて、尊敬出来る逆木さん、黒谷さんと同じ舞台に立てて、自分の人生の中で貴重な経験、財産になりました。
今後、内博貴くんのスケジュールが取れなかったら、僕を使って下さい。有難うございました。」

逆木さん「50過ぎてからやる舞台じゃないなと思ってました。」

錦織さん「なんか、歌いますか。」
それを聴いて戸塚君は笑いながらしゃがみこむ。

錦織さん「もうすぐつかさんの命日であります。
つかさんはいつも客席ではなくて舞台袖から舞台を観ていました。
今日も舞台袖から見てくれているであろうつかさんにお礼を言いたいと思います。
つかさん、有難うございました。」

キャスト4人が下手側の舞台袖にむかって深くお辞儀をする。

こんな感じでした。

以下、感想
観に行って良かった。出来れば戸塚君の伝兵衛も見たかった。
私にこの舞台は難しい。合わないと言ってしまえば簡単だが「学」がないとこの舞台は難しい、と感じた。
それがまず、マチネが終わった後持った感想で、それが大前提にある。
差別的な言葉と、上品とは言いづらい表現がある。
キャストありきで舞台を観に行くと演出や脚本と合わないという事もあるのだなあ、と。
まあ、普段のジャニーズの舞台が合っているかというとまた別の話になってくるが。

キャストありきで観に行っても、自分に合うということもある。
直近で観に行った舞台「キフシャム王国の冒険」がとても良くて期待以上だった。
ファンタジ=設定の鴻上さんの舞台に充分に楽しめたのが約1ケ月前。

熱海殺人事件28日の12時公演が終わった後の時点では、どうしてもコメディのキフシャムと比べてしまい、16時公演のチケットはまだ残っているのに、もう観たくない、京都くんだりまで来たのは間違いだっただろうか、とさえ思った。
私は分かりやすいものが好きで、古典とか日本文学とかそういたものが得意ではない。
みんなが泣いた泣いたというが、私は全然泣けなかったのだ。
私の感性は鈍いのかもしれない。
役に入りこめなくて、伝兵衛のこともメモにニッキさんの「ニ」と書いてある事も問題化も再れない。

しかし、16時の千秋楽を観て、1日にしてリピーターになって、観て良かったなあと感じた。
新鮮な気持ちも大事!と言う事で以下、メモなど。
<12時公演>
ABChanZooの収録の時で戸塚君が言っていた「殺すぞ、貴様」は、金太郎の台詞ではなく、伝兵衛の台詞だった。
ニッキさんの声のかすれが、観る側がひやひやするくらい深刻。
ニッキさんがギター持っているが、後ろに下げたままで、持っている意味とは。
黒谷さん脚バーンのキャスト紹介の後、戸塚君が客席に登場するのだが、彼はサングラスに赤いキャップをしていて、顔の大部分が隠れている。それでも、色男だとわかる。
自分でも何打ってるんだという気になったのだが、戸塚演じる大山金太郎は色男、美丈夫。
序盤は歌ってるか黙っているからなおさらである。
前方上手から前方客席下手をバラを持って「勿忘草…」と歌いながら花道をくぐり、練り歩く。

その後、凄い勢いで走って下手の通路を後方へはけていくのだが、
花道から人質に拳銃を突きつけてすぐに登場する。

人質事件が解決?した後、
錦織さんが「歌も違うし」と言っていたので、普段の公演とは曲を変えてきていたと知れた。
ちょっと声が出てなくて歌いなれてないような感じはあった。
16時公演のシェリーを聴いて気付いたけど、曲が違ったからこの回は錦織さんコーラス出来なかったんだ。
錦織さんは3人の警官役の人たちに「本来出る筈じゃなかったんだ、お前たちは。」と言っていた。
金太郎の顔の変化だが、刑事たちが売春について触れた頃から顔つきが凶悪になりはじめ、
顔色も黄色く変わり始めたのは病院の後、とメモにあるが病院が何を指しているのか思いだせない。

デップ君  < >
指をハット風のジェスチャーをして(多分パイレーツオブカリビアンジョニー・デップと)おいは生き様が似ちょろうが、というのである。
< >の動きがとても戸塚君という感じがした。
この繰り返し金太郎が語るデップ君のジェスチャーが熱海で一番忘れたくないもののような気がしている。

砂浜でアイちゃんと長崎弁でしゃべるシーンになると途端に金太郎がよくしゃべる男になる。
おいたち底辺の人間はベストセラーを読まんといけん、最近見た映画は何ね、という風に。
一方的に話す金ちゃんにアイちゃんは「うちは惚れちょらんもん」というのだが、それが何とも女子っぽい。九州の。申し遅れましたが私、九州から来ました。
亭主関白やけん、テーブルなんかぽんぽんぽんぽんぽん投げるよ、のくだりで、そこはちゃぶ台じゃなくてテーブルなんだ…と思った。

田舎の田んぼに高速道路が通る。
さらっと流されていたが、これは田舎が近代的になるだけでなく、意味がある。
高速道路の柱の下に位置するところの住居がある世帯は立ち退きを要求されるが、近くに引越す事が出来るし、自治体からまとまった金が入るのだ。
私も幼い頃、何もなかったところに高速道路が通って、その下は住居があったが立ち退いて、今は高速道路の柱が立っていて、その隣は共有のゲートボール場になっている。

人の金をあてにして、当面は24人家族でも平気、という意味もあったかもしれない。

こういった、田舎あるある、わかるーというエピソードがあった一方で私が「?」と思ったのは「新車の耕運機に二人で乗って」というエピソード。
耕運機はトラクターの事と解釈した。ちなみに私は農家の生まれなので、トラクターの運転が出来て畑もちょっとすいたりしたりするので想像できるのだが、耕運機は一人しか乗れないのではないだろうか。幼い弟を背中に担いで田をすく坊主はいても、
愛しあっちょう二人がいくら新車とはいえ耕運機に乗るだろうか。狭くない?物理的に可能だろうか。どうでもいいレベルの違和感。

アイちゃんのが身長が高いんだけど、手は金ちゃんのが大きいんだね、気づいて不思議な気持ちになった。

<28日16時千秋楽>
冒頭で伝兵衛が持った受話器が拳銃に見えるんだよなあ。
2回目の席の関係でやっと人質事件の3人のキャストが何をやっているかわかった。
銃弾を手でキャッチしたり、頭から入った銃弾を口から出したり!していた。

最初のほうは婦人警官水野に狂気を感じる。
受け答えが妙に声をはっているし、股を開いて椅子に座っている。
トライアングルやハイタッチで狂った女なんだと見せかけて、伝兵衛との10年間を語る彼女が見せる愛情に、ぐっと世界に入り込まされた。

金太郎がアイちゃんとのシーンで涙のように汗をぽろぽろ落とす。
ぽろぽろ。ぽろぽろ。

紫煙って白いんだな、灰が黒くなるから、灰色の煙のような気がしていたけど、白かった。
19才なんだから、バーじゃなくて喫茶店で紅茶で当たり前だろ、と観劇しながら思っていたのに、煙草は何と言っていいか。「お前の事務所は煙草と女は駄目だって聴いてる」と熊田が言ったのが、ブラックジョークのように響く。また、金太郎が上を向いて煙をはいていたから何も感じなかった。子どもの遊びみたいで拍子抜けした。
火の付け方がもっと下を向いていたら、きっとひどく魅力的に映ったに違いない。
マチネより長く吸っていた。熊田に注意されるまでが長かった。

金太郎は自分の価値を否定されて殺人にいたったわけだと私は感じた。
彼の成功体験は地元の相撲で大関になった事。それは小学生のころなのかな、と調べてみたら、長崎の五島では中学校でも相撲をしていたところもあるようで。19で上京して5年だから、もし中学生の頃の相撲の記憶だとしたら、そんなに幼いころの記憶ではない。でも多分5年以上前。自分が人生で最も輝いた瞬間が今じゃないのは辛い事。過去の栄光が彼を支えていたのに、彼を優勝に導いたアイちゃんの声援をアイちゃんから忘れたと言われれば、虚無感に襲われても仕方のないこと。それを殺意にまで発展させたのは、お金なんじゃないかと感じた。かき集めたお金「もうそんなはした金では買えないんだけど、同郷のよしみで」とアイちゃんに言われた事も彼の自尊心を傷つけた。自分の体を自分の意志とはグローブのような指紋のない手になってまで働いて稼いだお金のことをそんな風に言われて、悔しかったんじゃないか、自分の限界がそこだってことが悔しかったんじゃないかと。
反対にアイちゃんが、手に入れた顔で仕事が劇的に変わって、それを手放したくない、手放せない気持ちも物凄くわかるよなって。
それを金ちゃんはアイちゃんは心まで汚れてしまったと言うわけだけど、こっちからしてみたら、生まれた時から顔が整っている人にこっちの気持ちはわからないわよ、舞台冒頭の顔の造作のことで体操座りして謝りたくなったどぶ側の人間の気持ちわかるか…あれ?金と美醜の話しかしてしてないすみません。
綺麗な二重瞼のアイちゃんからもとの心のきれいな可愛いアイちゃんに戻ってほしいというのは村へ二人結婚してで戻る以上に現実的ではない事だ。
そもそも、二人は思い出話や身の上話は出来ても未来に向かう話は合意にはいたれなかった。
何ですかね、「死ぬほど愛すか、殺すほど憎む」
それしか選べないのか。
答えは出ない気がする。
私はアイちゃんの取った行動も全部は理解できていない。
行きの電車では、そぐわない格好をした金太郎をかばったのに、
送っていくと言った金太郎に「面倒」と言ってしまう事とか。
大関の一番、金太郎に送った声援「金ちゃん、頑張らんね」を
「覚えちょらん」と言った真意とか。


舞台終盤の花束から散った薔薇の花びらは赤くて耽美だった。



ツアーのMCやらで、戸塚君を知ったような気になっていた。
知った上で彼の事を理解できて愛せるのは私だけ、という風に錯覚していたのかもしれないな、と
ライトに光る戸塚君の腕の産毛を観てぼーっと思った。
私は彼の汗になりたかったのに。

外の舞台で活躍する戸塚君を見られた事以外にも収穫があった。

普段A.B.C-Zはだいたい5人でいるので、ツアーで見ようとすれば、一人に絞らなくてはならない。見れても視界の関係で二人が限度。
私の場合、5人いると優先順位的に双眼鏡で観る対象にくいこまない戸塚君だが、
戸塚君は本当に綺麗で整っていてたしかに生きていると感じられた。
若い命が確かにあった。
命が艶めいて煌めいていた。
その命を観賞できた、贅沢な時間でした。